母体八幡神社(檜山城鬼門鎮守)

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母体・八幡神社
母体・八幡神社(檜山城鬼門鎮守)
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概要・歴史・観光・見所
母体八幡神社(能代市檜山)概要: 母体八幡神社の創建は大同2年(807)、坂上田村麻呂が東夷征伐の際、宇佐八幡宮(大分県宇佐市)の分霊を勧請し戦勝祈願したのが始まりとされます。中世に入ると母体八幡神社の境内は、檜山安東氏の居城である檜山城の鬼門(北東方向)に位置することから歴代安東氏の崇敬社として庇護され元亀3年(1572)には安東(秋田城之介)愛季が社殿を再建し社領30石を寄進しています。現在の拝殿はその当時のもので寄棟、妻入、鉄板葺、桁行4間、梁間4間、正面1間向拝付、外壁は真壁造、複雑な彫刻など華美な意匠を廃した素朴な造りで、内部に安置されている神殿は大正12年(1923)に能代出身の名工宮腰兵吉作により再建されています。母体八幡神社は当地区を代表する社殿建築として貴重な事から軒札7枚と共に平成16年(2004)に能代市指定文化財に指定されています。古くから神仏習合し別当として修験僧である歴代阿部氏が祭祀を司っており、3代目大鏡院が伝えたとされる檜山舞(母体番楽)は現在でも例祭(旧暦8月15日)や御盆に奉納されており昭和39年(1964)に秋田県無形文化財に指定されています。明治時代初頭に発令された神仏分離令により形式上は仏式が廃され明治6年に村社に列し、周辺集落の鎮守が合祀されました。檜山城が廃城後も母体集落の鎮守として信仰され社宝である絵馬、鷹の絵は昭和49年(1974)に能代市指定有形民俗文化財に指定されています。祭神:応神天皇、宮比大神、大名持命、少名彦命。

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