横手市平鹿町浅舞: 八幡神社

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八幡神社
八幡神社
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八幡神社 八幡神社 八幡神社 八幡神社
概要・歴史・観光・見所
八幡神社(平鹿町浅舞)概要: 八幡神社の創建は天平12年(740)、浅舞村を開いた際、村の産土神、守護神として八幡神(応神天皇)の分霊を勧請したのが始まりとされ浅舞村の村民は身分を問わず八幡神社の氏子になったそうです。元亀元年(1570)、小野寺左京亮友光が浅舞城を築くと、城の鎮守社として崇敬庇護され社運も隆盛しましたが、天正18年(1590)、豊臣秀吉の奥州仕置きに伴う検地で一揆が発生し浅舞領は秀吉の蔵入地となり、菅蔵人秀磐が城代になった為、以前程の庇護は受けられませんでした。江戸時代に入り久保田藩領になると藩主佐竹家が源氏の後裔だった事から八幡神を崇敬し複数回、参拝や代参が行われ寛保3年(1743)には5代藩主佐竹義峯が社殿の改修を行っています。寛政12年(1800)に当初の遷座地が参拝に不便だった事から現在地に遷座しています。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され明治5年(1872)に郷社、明治15年(1882)に県社に列しています。明治時代の絵図からも今のように堀で囲まれているのがわかります。浅舞公園側から入ってきた為か、かなり不思議な空間でした。湧水の町なので水には困らないとは思うのですが、元々が城の跡なのか、何故必要だったのかは良く解りませんでした。境内には、石膏製の神馬や庚申塔などがあり信仰の厚さが良く解ります。拝殿は入母屋、銅板葺、平入、桁行4間、正面1間軒唐破風向拝付、外壁は真壁造、板張素地、花頭窓が見受けられ、神仏混合時代の名残があることから比較的古いものではないかと思います。彫刻もかなり手の込んだもので向拝木鼻には獅子、欄間には龍、懸魚には鳳凰が施されています。本殿は一間社流造、鉄板葺の小さいものですが、組物が独特でかなりの存在感があり、屋根の妻面には松か波なのかは分かりませんが印象的な意匠になっています。主祭神:誉田別尊。例祭:9月15日。

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