横手市金沢: 厨川

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厨川
厨川
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概要・歴史・観光・見所
厨川(横手市金沢)概要: 羽州街道を横切る厨川の両岸はコンクリートで護岸され、当時の様子と一変しましたが、厨川は金沢柵の天然の外堀に見立てられた川で平安時代後期に行われた後三年合戦の伝説が残っています。源義家(伊予守源頼義の長男、陸奥守、朝廷から後三年合戦鎮圧を命じられた。)の家臣「鎌倉権五郎景政(当時16歳)」が清原家衡(義家の裁定に不服で反乱、金沢柵に立て籠もった。)の家臣「鳥海弥三郎」と一騎打をした際、景政は片目を矢で射抜かれながらも敵を倒しました(鳥海弥三郎との一騎打ちでは無く敵方の一斉射撃で射抜かれたとも)。見方だった三浦為次が矢を抜こうとしましたが、なかなか抜けなかった為、顔に足を掛け抜こうとした所、景政は「武士の顔を踏みつけるとは・・・!」と言い放つと為次を切りかかろうとしました。為次は陳謝し、膝をかがめ、その膝で顔を押え矢を抜き、景政は厨川で傷を負った目と血の付いた矢を洗ったと伝えられています。現在でも、厨川では片目のカジカが取れるのはその由来からとされています。又、金沢柵の麓にある金沢公園には義家に命で景政が討死した兵を葬った塚の上に杉を植えという「景正功名塚」が残されています(杉は火災により根元だけが残る)。

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