横手市: 旭岡山神社

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旭岡山神社
旭岡山神社
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旭岡山神社 旭岡山神社 旭岡山神社 旭岡山神社
概要・歴史・観光・見所
旭岡山神社(横手市)概要: 旭岡山神社は案内板によると「当社は出羽国平鹿郡山川荘(現横手市山内村平鹿町の1部)の総鎮護の神として人皇51代平城天王の大同2年征夷大将軍坂上田村麻呂東征の砌りご祭神を勧請創祀せる神社である。のち鎮守府将軍清原武則が市指定史跡天狗館跡地付近に御堂を建立。以来源義家公をはじめ藤原秀衛公、源義経公、武蔵坊弁慶他等々武将、武人をはじめ近隣郷中の人々の崇敬夙に篤く産業開発、開運授福、心願成就の神として崇められ、その後当地を支配せる領主小野寺氏が殊の他崇敬篤く横手城主横手佐渡守ご社殿を造営(現社殿)又、小野寺遠江守をはじめ、代々の城主、奉行を遣わし社殿の修復に当たられ神田、神宝類を数々寄進されておる。佐竹公秋田へ国替えの後は藩主義隆公正保4年御社参拝、義敦公明和6年御社参社領(当高5石金100疋)肴料等を御社納下されておる。嘉永7年雄平仙3郡に及ぶ崇敬者の寄付により現拝殿を改築・・・・(後略)」とあります。古くから神仏習合し本地仏として薬師如来を信仰していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により形式上には仏式が廃され明治6年(1873)に村社に列し明治42年(1909)に神饌幣帛料供進神社に指定されました。旭岡山神社は鳥居の他、神社山門(仁王門:入母屋、茅葺、三間一戸、八脚単層門)や十二神将像が安置されるなど神仏混交社殿の名残を見せ、長い参道を登りきると聖地を思わせる神々しい境内が広がり身が引き締められます。拝殿は入母屋、銅板葺、平入、桁行4間、梁間3間、正面1間向拝付、向拝桁上部左右に大型の力士像2躯、外壁正面左右の木鼻に小型の力士像2躯の彫刻が施されています。本殿は一間社入母屋造、銅板葺。社宝である2躯(室町時代、松材、一木造、像高69.3cm)の神像は運慶により彫刻されたと伝わるもので秋田県指定重要文化財に指定されています。参道にある推定樹齢1千年の御神木である「旭岡山神社の七本杉」(現存は3本)は昭和50年(1975)に横手市指定天然記念物に指定されています。又、横手市の冬の行事としてカマクラと並んで有名な旭岡山神社ぼんでん祭りがあります。祭神は天忍穂耳命、宇賀之御魂大神、伊邪那岐大神、伊邪那美大神、大山祇大神、水波能売大神、白山比売大神。

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