横手市: 大鳥井山遺跡

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大鳥井山遺跡
大鳥井山遺跡
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大鳥井山遺跡 大鳥井山遺跡 大鳥井山遺跡 大鳥井山遺跡 大鳥井山遺跡 大鳥井山遺跡
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概要・歴史・観光・見所
大鳥井山遺跡(横手市)概要: 大鳥井柵は平安時代後期(11世紀中期頃)清原氏の一族大鳥山太郎頼遠の居城として設けられたのが始まりとされます。標高80mの大鳥井山と標高72mの小吉山の2つ山で構成され概ね南北580m、東西220m、面積12万uを史跡の範囲としています。大鳥井山の頂上部が柵の主郭と思われる場所で約400uの人口的に造成された平場には2棟分の掘立柱建物(四面庇建物)の遺構と柵列跡、大溝などが発見されています(現在は大鳥井神社の社殿が建立されています)。また、主郭へ上る過程には3重の空堀、土塁と思われる地形が、麓には大規模な二重の空堀と土塁の遺構が明瞭に見られます。北側の空堀の幅は11.6m、深さ1.6m、土塁の幅は最大で8.35m、高さ1.6、南側の空堀の幅は3.8m、深さ0.7m、土塁の幅5.8m、高さ1.1mと規模が大きく、往時は大鳥井柵を囲うように3方(もう一方は横手川)に配されていたと推定されています。出土品は10世紀後半から12世紀にかけてで、主要なものは前九年合戦が行われた永承6年(1051)〜康平5年(1062)、後三年合戦が行われた永保3年(1083)〜寛治元年(1087)に合致し金沢柵が落城し合戦が終結するまでは清原氏関係者(推定:清原光頼・清原頼遠父子)の居館として機能していたと思われ、後三年合戦に勝利した清原清衡が平泉(岩手県平泉町)に本拠を移し居館、政庁とした柳之御所とは柵の形状や構成、出土品などにも類似点も多く関係性が伺えます。大鳥井山遺跡は平安時代後期の城柵跡として大変貴重な存在で、さらに平安時代の遺跡としては「陸奥話記」、「後三年合戦」などの文献に記載されている記述と学術的な調査と一致する極めて異例な存在として平成22年(2010)に国指定史跡に指定されています。

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