正平寺 |
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[ 付近地図: 秋田県横手市田中町 ]・[ 横手市・観光・歴史・見所 ] |
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正平寺(横手市)概要: 大儀山正平寺は横手市中心の田中町にあります。「赤門の寺」の愛称がありは一種のランドマーク的存在です。創建は寛治年中(1087〜1093)に藤原正衡によって開かれたのが始まりと伝えられています。藤原正衡は奥州藤原氏の祖となった藤原清衡の3男で本尊は清衡の刻がある十一面観世音菩薩とされ度重なる火災の中奇跡的に難を逃れに現在に伝わっています。当初は境町(下八丁明永の地)にあり明永山大義寺と称していましたが文治5(1189)、源頼朝の奥州合戦の兵火により堂宇が焼失し廃寺同然となっていました。長禄2年(1458)、横手城主小野寺泰道が警厳宗篤(越後柏崎香積寺4世)を招いて中興し寺号を大儀山正平寺に改称し曹洞宗に改宗しています。小野寺氏は平鹿・雄勝・仙北の3郡を制した国人領主でその庇護により寺運も隆盛し堂宇などが整備されました。又、江戸幕府の重臣本多正純縁の寺院としても知られています。正純は江戸幕府初代将軍徳川家康の重臣として重用されましたが2代将軍徳川秀忠に疎まれ元和8年(1622)、正純の居城である宇都宮城の天井に仕掛けを施し秀忠を暗殺しようと画策したと嫌疑をかけられ(宇都宮城釣天井事件)、宇都宮藩15万5千石から本荘藩5万5千石に減封となりました。しかし、正純は移封を拒否した為、大沢郷宿へ捨扶持1千石となり、結局佐竹氏預かりの身となり、横手城近くで監禁されこの地で果て正平寺に弔われました。小野寺泰道の墓碑と五輪塔は平成4年(1992)に横手市指定史跡に指定されています。宗派:曹洞宗。本尊:十一面観世音菩薩。
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