角館町: 河原田家住宅(武家屋敷)

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河原田家住宅
河原田家住宅
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角館町・歴史・観光・見所
河原田家住宅(武家屋敷)概要: 河原田家は藤原秀郷の後裔とされる小山家から出た小山盛光が下野国河原田郷を領した事から地名に因み河原田氏を称したのが始まりとされます。河原田盛光は文治5年(1189)、源頼朝から奥州平泉の藤原氏追討の命により参陣し奥州合戦の功により陸奥国会津郡伊南の地を与えられ、以後、河原田家は幕府御家人、伊南地方の地頭として長く領主を務め国人領主として会津四家(芦名家・長沼家・山内家・河原田家)に数えられました。戦国時代に入ると芦名家に従いましたが、半独立性を保ち大きな影響力を持ち天正17年(1589)の摺上原の戦いで芦名義広が伊達政宗に敗れた後も伊達家と戦い続けました。天正18年(1590)、伊達家に勝利するものの豊臣秀吉の奥州仕置きにより領地が没収され大名家としての河原田家は没落し、芦名義広(盛重)を頼り江戸崎に下向し家臣になったと思われます。慶長7年(1602)、佐竹家が久保田藩に移封になると、盛重は角館城1万5千石が与えられ河原田家も角館に主君と共に随従してきました。角館赴任当初は番頭や寺社奉行などの要職に付き150石を有していましたが分家し、さらに芦名家断絶に伴い、新たに角館所預となった佐竹北家に仕えた為、さらに石高が減りました。現在の建物は分家筋の方で、幕末から明治に掛け名士を輩出し明治24年(1891)に移り住んだ時に建てられたもので、建物自体は中級武家屋敷を継承しています。母屋は木造平屋建(背後の増築部は木造2階建)、切妻、鉄板葺、玄関はは起り付唐破風屋根、懸魚には精緻な彫刻が施され式台付、座敷なども格式の高い造りになっています。薬医門は当初の屋敷から移築したもので、切妻、鉄板葺、一間一戸、大戸の他脇壁には潜り戸を設けています。又、庭園も江戸時代から受け継がれたもので見ごたえがあります。河原田家は角館の中級武家屋敷を流れを汲む貴重な遺構である事から昭和50年(1975)に仙北市指定史跡に指定されています。

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