古四王神社

 秋田県:歴史・観光・見所(ホーム)>古四王神社
創建年斉明天皇4年(658)
祭  神大彦命、武甕槌命
格  式国幣小社・別表神社・秋田領12社
文化財
神  事例祭:5月8日
場  所秋田県秋田市寺内児桜

備  考古四王神社の創建は不詳ですが伝承によると神話の時代に大彦命(四道将軍の1人、北陸地方に派遣され平定したとされます。)が東夷東征で当地まで進軍してきた際、北方の守護神とする為に武甕槌神の分霊を勧請し祀ったのが始まりと伝えられています。その後は齶田浦神と呼ばれ信仰されていましたが、斉明天皇4年(658)阿部比羅夫が当地まで遠征してきた際に大毘古命(大彦命)の分霊を勧請合祀し、社号を「古四王」と改めさせたそうです。阿部比羅夫を輩出した阿部氏の祖は大彦命とされる事から祖神を祀ったとも考えられます。鎮座地は高清水という地名である事から六国史の1つで平安時代(延喜元年:901年完成)に成立した「日本三代実録」で貞観7年(865)2月27日壬辰条の「出羽国正六位上城輪神。高泉神並従五位下」の「高泉神」は当社の事とされます。境内は古代の出羽国に国府が一時設置された秋田城(国指定史跡)に隣接し、城の鎮護寺で祭祀を司ったと思われる四天王寺と神仏習合したようで「古四王大明神」と呼ばれるようになっています。以後、秋田城の城主である「秋田城介」から崇敬庇護され社運も隆盛したようで、特に東北地方から北陸地方に広がった古四王信仰の本社的な存在になったようです。中世に入ると長く当地を支配した安東氏(秋田氏)が庇護し三春藩(福島県三春町)に移封後も分霊を三春城の城下町に勧請し祈願所としました。安東氏は俘囚(朝廷に従った蝦夷)長の一族である安倍貞任の後裔を自称する一族で、その後、十三湊(青森県五所川原市)を拠点として日本海沿岸に大きな経済圏を形成し蝦夷管領にも就任しました。室町時代になると、南部氏の津軽侵攻により安東氏は蝦夷地(北海道)や出羽国(秋田県)に逃れ、出羽国に逃れた一族が古四王神社を信仰するようになっています(安東氏が津軽を領していた時代には古四王神社を信仰してい様子が無く、京都との流通経路の要衝に鎮座していた日吉大社を信仰していたようです)。江戸時代に入ると久保田藩(藩庁:久保田城)主佐竹氏の崇敬社として庇護され、特に領内の名社として定めた秋田領十二社に数えられ社領60石が安堵されました。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が排され社号を「古四王神社」に改めて明治9年に県社、明治15年に国弊小社に列しています。
[ 秋田県日本三大(川原毛地獄・長谷寺(赤田の大仏)・院内銀山) ]・[ 行基菩薩 ]・[ 松尾芭蕉 ]・[ 日本武尊 ]・[ 古四王神社(日本神社100選) ]・[ 補陀寺(名刹巡礼 古寺100選) ]・[ 蚶満寺(名刹巡礼 古寺100選) ]
スポンサーサイト
※ このサイトは秋田書店より発売された臼田甚五郎監修「日本神社百選」で選定された神社を取り上げています。ただし、写真は独自に撮影し、内容自体は「郷土資料辞典」、「日本の城下町」、「観光パンフレット」、「観光地案内板」、「関係HP」等を参考に編纂しています。相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、写真や文章のコピーは遠慮してください。御理解の程よろしくお願いします。