登山記録: 神宮寺岳(副川岳)

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神宮寺岳(副川岳):概要
神宮寺岳はその山容が秀麗で、角度によっては綺麗な三角錐をしている事から古代自然崇拝の対象になっていたと推定されています。奈良時代に入り大和朝廷の権力が出羽国まで進出すると、当時は当地域が蝦夷との国境だった可能性が高く、秀麗だった神宮寺岳(当時は副川岳と呼ばれていたと思われます。)の山頂に副川神社を勧請し北方の守護神としたと思われます。延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載された所謂式内社は秋田県内では副川神社、波宇志別神社保呂羽山)、塩湯彦神社(御岳山)の3社しかなく、重要視されていた事が窺えます。中世に入ると神仏習合し熊野信仰なども絡み修験の地となり、さらに八幡信仰が合わさった事で次第に副川神社本来の信仰が薄れていきました。その後、里宮だったとされる宮が八幡神社となり信仰が移った為、副川神社の存在が失われ、神宮寺岳の山頂の宮は何時しか嶽六所神社と呼ばれるようになりました。副川神社と嶽六所神社の関係は不詳ですが、嶽六所神社の創建は大宝年間(701〜04)に勧請したとも、坂上田村麻呂が勧請したとも伝えられています。祭神は六所明神(稻倉魂神、五十猛命、金山毘古命、高彦根命、大己貴命、事代主命)で副川神社が祀っていたとさえる「杉生の神」とも異なります。正徳4年(1714)、久保田藩4代藩主佐竹義格は古社の再興に尽力しましたが、副川神社は神宮寺岳では無く、現在の八郎潟町の高岳山山頂に再興しています。当時、副川神社の信仰は廃れ、古社地が判明出来なかった為、政治的な理由で遷座したされ、後にこの事が理由に郡名を変更したとも云われています(延喜式神名帳には社地が山本郡だった為、新たに再興した副川神社が鎮座する土地も山本郡でなければならないという理屈、逆に言えば現在の大仙市や仙北郡は古代には山本郡と呼ばれていた地域。)。又、戊辰戦争の舞台の1つでもあり、官軍だった久保田藩は神宮寺に本営を設けて神宮寺岳を要塞化させ、進軍してきた庄内軍と激しい攻防戦が繰り広げました。
神宮寺岳(副川岳):登山データ
場所: 秋田県大仙市神宮寺町
標高: 277.4m
想定往復時間: 1時間20分
付近地図:
 白白
神宮寺岳(副川岳):周辺温泉
あいのの温泉 鶴ヶ池荘 (秋田県)
神宮寺岳(副川岳):写真・登山過程
山容 登山口 鳥居 山道 つづら折り
倒木 眺望 眺望 尾根 紅葉
倒木 尾根 雑木林 分岐点 山道
嶽六所神社 石燈籠
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