登山記録: 房住山

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房住山:概要
房住山は標高400m程度の低山で周辺の山々から見ると最高峰ですが目立った山容でもありません。しかし、古来からの信仰の山として知られ、平安時代には既に沙門が開いた天台宗寺院があったそうです。伝承によると蝦夷の首領の阿計徒丸(長兄)、阿計留丸(次兄)、阿計志丸(末弟)の長面三兄弟(顔の長さ二尺四五寸、幅一尺三寸と異様の顔が大きかった。)は東夷東征で出羽国まで進軍してきた坂上田村麻呂と対立、弟2人が討ち取られるなか、阿計志丸が率いた軍勢はここまで退却し房住山に立て籠もりました。しかし、地元の長が率いる軍勢と田村麻呂の軍勢の挟撃により敗北、勝利を確信した軍勢は引き上げました。が、実は阿計志丸は生きていて、怒りからか房住山の寺院を悉く破壊していきました。ところが、阿計志丸は壊した寺院の下敷きとなり、もがいていたところを僧侶に討ち取られ、首は田村麻呂の元に送られたと伝えられています。長承3年(1134)、修験僧である角源が従者4人と共に房住山を再興し大憧寺を開山、大日如来を本尊として信仰を広め寺運も隆盛しました。最盛期の鎌倉時代には数多くの僧坊が立ち並び修験道場の一大拠点として大きく繁栄しましたが嘉吉3年(1305)、岩川城主との対立から焼き討ちにあい再び衰退しています。明徳4年(1393)に再度再興されるも往時には至らず文亀2年(1502)に夜盗の放火で数多くの堂宇、記録、寺宝が焼失し江戸時代には神社や寺院も姿を消しました。しかし、住民達の房住山への信仰は変わらず、江戸時代後期に自ら三十三観音の石仏を奉納、現在でもその姿は健在で三種町指定文化財に指定されています。又、小野小町の縁の山とも伝えられ、小町が晩年京都から出羽の国に戻った際、眼病(皮膚病との2説が存在)を煩い、房住山の山頂に安置されていた瘡地蔵へ眼病平癒の祈願を行うとしました。ところが、房住山はあまりにも急峻だった為、登り切る事が出来ず、嘆き悲しむと不思議と足元から清水が滾々と湧き出てきたそうです。小町は霊水に違いないと悟り、清水で目を洗うと、忽ち眼病が平癒したと伝えられています。
房住山:登山データ
場所: 秋田県三種町
標高: 409.2m
想定往復時間: 2時間
付近地図:
 白白
ホテル森山館 (秋田県)
房住山:写真・登山過程
山容 大鳥居 登山口 石段 房住神社
山道 天然杉 杉林 階段 分岐点
房住山 十番:千手観世音 崖地 台倉の坂(ババ落し) つづら折れ道
眺望 十一番:准胝観音 十二番:千手観音 番外一番:聖観音 眺望
下り道 紅葉 小峰 十四番:如意輪観音 山道
小峰 天然杉 十五番:十一面観音 十六番:千手観音 山道
眺望 十七番:十一面観音 十八番:如意輪観音 房住山 房住山
房住山 十九番:千手観音 紅葉 尾根 二十番:千手観音
房住山 房住山 山頂 二十一番:聖観音 番外二番:阿弥陀如来
番外三番:大山祇命 三角点 眺望 眺望 紅葉
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新・分県登山ガイド 改訂版4 秋田県の山

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