大師堂 |
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[ 付近地図: 山形県遊佐町 ]・[ にかほ市:小砂川・三崎峠フィールドワーク ] |
大師堂(遊佐町)概要: 大師堂は案内板によると「大師堂(三崎神社)は、古木鬱蒼としたタブの林の中にある。貞観年中今から千二百年前慈覚大師姓は壬生名は円仁の草庵を結ばれた所であって、当時この境内には23の寺院もあったとのことである。・・(中略)・・大師は独り仏教を広めたばかりでなく、至る所に殖産、興業を起し、道路を開き、交通の便を計るなど、ここ三崎の難所の大師堂も、大師がこの地の開発に力を用いた一端とも見るべきである。・・・・五輪塔は供養塔であって、しかも、塔としては本当の形とされている。方形、円形など5つの石を下から地、水、火、風、空と積み重ねて造ったものであって慈覚大師の当時のものもあり、石質からして他所からのものが多い。 遊佐町」 とあります。現在の大師堂は江戸時代に建てられたもので、切妻、桟瓦葺、妻入、外壁は真壁造、板張素地、正面1間向拝付。遊佐町に伝わる伝説によると、平安時代に三崎山に手長足長(手を伸ばせば鳥海山に、足を伸ばせば飛島に届いたとされます)と呼ばれる妖怪が巣食い周辺住民に悪さをし人間すら食していました。その噂を聞いた慈覚大師円仁は法力によって手長足長を退治し、説法すると手長足長は改心し人間を食するのを止め、タブの木の実を食べるようになりました。慈覚大師は草庵を設けると犠牲になった村人の無念を弔う為に数多くの五輪塔を建立したと伝えられています。
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