古四王神社(大仙市)概要: 古四王神社の創建は不詳ですが、秋田市寺内に鎮座する古四王神社の分霊が勧請されたと思われます。寺内の古四王神社は秋田城の鎮守社として重きを成し、祭神である大彦命は「越王」として大和朝廷が蝦夷の影響力が強い地域に意図的に祭ったと考えられる事から、当社も同様な理由で設けられたと思われます。当地は古代城柵である払田の柵を控え、天平9年(737)には大野東人により秋田城と多賀城(宮城県多賀城市)を結ぶ官道が整備された事から古四王神社が祭られる適地だったと考えられます。古くから神仏習合し古四王大権現と呼ばれいましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され、現在の社号である「古四王神社」に改め明治6年(1873)に村社に列し、明治41年(1908)に神饌幣帛料供進神社に指定されています。古四王神社は特に日本海側で多く祭っていて秋田県内では秋田市の寺内の他、横手市十文字や、象潟、能代市檜山などにあります。祭神:大彦命、天照皇大神、豊受大神、建御名方命、八坂刀売命、水波女神。
現在の古四王神社の本殿は元亀元年(1570年)に領主である戸沢兵部(角館城の城主戸沢氏と思われます)が家臣である富樫左衛門太郎に命じて造営させたもので、棟梁は飛騨の匠、甚兵衛が担当し、秋田県内では最初の昭和25年(1950)に国重要文化財に指定されています。本殿は一間社で入母屋造りの妻入りのこけら葺きで、正面には唐破風の向拝があります。軒の出が、建物本体に比べて異常なほど出ていて、高勾配な屋根は高さを稼いでいます。細部の意匠は軒下の組物は和調ですが唐様、天竺様等も取り入れています。向拝にある大きな蛙股もめずらしく関東で数例しか見られないそうです。案内板には、古四王神社のことを、東大教授の伊藤忠太博士が「奇中の奇 珍中の珍」と賞し、京大教授の天沼俊一博士は「この建築は建築様式に全くこだわらず、和・唐・天を超越した天下一品の建物である」と賞しています。甚兵衛の故郷と思われる飛騨に鎮座する五社神社(岐阜県飛騨市)の旧拝殿は古川甚兵衛が建てたものとされ、扉の鯉の彫刻が余りにも素晴しすぎて魂を宿し、社殿に水を呼び込み常に水浸しになったとされます。困った領主は甚兵衛に頼もうとしようとしましたが、甚兵衛は越後に去ったと言われ、越後まで家臣に探させましたが、結局見つからず、出羽で死亡したとの報告を受けたと伝えられています。
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