能代市檜山: 浄明寺

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浄明寺
浄明寺
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浄明寺 浄明寺 浄明寺 浄明寺
概要・歴史・観光・見所
浄明寺(能代市檜山)概要: 善城山浄明寺は中世、檜山城の城主、安東氏縁の寺院です。創建は天文13年(1544)、安部貞任(前九年合戦で源頼義によって平定された)の後裔とされる西道によって開かれたのが始まりとされます。西道は蓮如直門の浄願寺弘賢に師事し文亀4年(1504)に湊城秋田市土崎)の城下に一宇を設け、その後、檜山に移ったと思われます。浄明寺は檜山城の麓に位置し、安東成季の子供である成順が2世、安東実季の子供又は弟とされる成就が4世を務めるなど関係が深く篤く庇護されました。慶長7年(1602)に実季が常陸国宍戸藩(現在の茨城県笠間市)に移封になると外護者を失いますが、新たに久保田藩主となった佐竹氏の一族である多賀谷氏が檜山所預として当地に赴任してくると、多賀谷氏の庇護となっています。山門(最近までは檜山城の門を移築したもので「城下がりの門」言われてきましたが墨書銘より江戸時代前期に建立されたものと分かりました。)は1634(寛永11)年に建立された貴重なもので、 切妻、こけら葺、一間一戸、薬医門形式、薬医門としては東北でも2番目に古く、一見普通の門のように見えますが、大斗肘木、蛙股、懸魚、唐破風など基本的な 薬医門の要素を全て兼ね備えて、全体がシンプルにまとまっていて余計な装飾がなく品格のある門と言えます。浄明寺山門は江戸時代初期の薬医門として貴重な事から昭和62年(1987)に秋田県指定有形文化財に指定されています。境内の浅利勝頼首塚は、比内郡を支配していた浅利宗家を裏切り敵対していた安東氏に内応した浅利勝頼の首が埋められたと伝えられています。勝頼の裏切りにより事実上安東氏が比内郡を勢力下に入れ、形式的に郡代として勝頼が派遣される形を採りましたが、勝頼は津軽家と組む事で独立を計り、それが発覚すると檜山城に呼び出され毒殺されたとも、安東氏の家臣松前慶広に殺害されたとも云われています。寺宝も多く 聖徳太子御影(絵画)、 教如上人寿像(絵画)、 秋田城之介実季書状(書跡)、 黄瀬戸菊皿3点(工芸:檜山城跡出土品)が能代市指定文化財に指定されています。宗派:真宗大谷派。本尊:阿弥陀如来像(慶長11年:1606年、伝:安阿弥作)。

薬医門を簡単に説明した動画

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