秋田氏・安東氏:記録的・初見

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記録的・初見

概要・歴史・観光・見所
今までは、あくまでも後年製作され多分改竄されているだろうと予測されている家系図や伝承、伝説といった類ですが、記録的に第一級史料での秋田・安東氏の初見は鎌倉幕府の正式の歴史書として編纂された「吾妻鏡」とされています。それによると文治5年(1189)、平泉(岩手県平泉町)の奥州藤原氏領への東征、所謂「奥州合戦」の際、奥州藤原氏は現在の宮城県と福島県の県境にある阿津賀志山に陣を張り、大木戸(城門)と水堀を設けて最終防衛線を設けて、鎌倉軍の進攻を抑えていました。鎌倉軍が思わぬ苦戦を強いられた事で、小山七郎朝光、宇都宮左衛門尉朝綱、波賀次郎大夫等が背後に廻り込み奇襲をかける事を画策、その際、道案内をしたのが安藤次と呼ばれる人物で、これが秋田・安東氏の記録的初見とされています。当然、この安藤次が安東氏の頭領だったのかの説明は無く、文脈からは身分が比較的に低い単なる道案内として表現されています。もし、安東氏が当時、津軽周辺の領主とすれば、陸奥国の山奥の道案内出来る程精通しているのかも疑問もあり、単なる安藤次と呼ばれる山の民が道案内しただけの事かも知れません。「安藤系図」では、この記録的事実から安藤次を安藤小太郎季俊に見立て奥州合戦では源頼朝に従軍し、季俊の子供である安藤季信が津軽守護人になった事が記載されています。現在知る限りでは鎌倉幕府に「津軽守護人」と呼ばれる役職は無く当然正式な記録には残されていません。

次ぎに現れるのは南北朝時代に編纂された「保暦間記」で、それによると鎌倉幕府の執権が北条義時の代(2代執権:元久元年:1204年〜貞応3年:1224年)に安藤五郎が東夷の堅めの為に代官として津軽に配された事が記載され、南朝暦正平11年、北朝暦延文元年(1356)に編纂された「諏訪大明神絵詞」によると当時の蝦夷に支配者が居なく混乱した事から秩序を回復する為に安倍高丸の後裔である安藤太を蝦夷管領とした事が記載されています。これまで、秋田・安東氏は正体不明の安日彦、又は伊賀の阿倍志彦一族が津軽に落ち延び土着した説とアイヌ又は蝦夷の現地人の首領クラスの一族が勢力を拡大させたとの説を挙げてきましたが、南北朝時代後期に編纂された「地蔵菩薩霊験記」では「往日、鎌倉ニ安藤五郎トテ武芸ニ名ヲ得タル人アリケリ。公命ニヨリ夷嶋ニ発向シ、容易夷敵ヲ亡、其貢ヲソナエサセケレバ、日ノ本将軍トソ申ケル」、「日蓮聖人遺文」では建治元年(1275)に「安藤五郎は因果の道理を弁へて堂塔多く造りし善人也。いかにとして頸をばゑぞにとられぬるぞ。」と記載されており、素直に読めば、安藤五郎という武芸に秀でた武将が鎌倉に居て、幕府の命令により夷嶋(津軽)へ派遣され、簡単に夷敵(反乱した蝦夷)を討伐し幕府に対して貢物をさせた為、日ノ本将軍という称号を与えたと読み取れます。日蓮聖人遺文では安藤五郎は堂塔を数多く造営するなど善政を行ったものの、蝦夷に首を取られたと読み取れます(諸説有り)。

ここからは推測ですが鎌倉幕府成立時には幕府の権力が及ぶ日ノ本とエミシ(蝦夷)の人々が暮らす蝦夷(国)が存在し、鎌倉武士である安藤五郎を派兵する事で一応の統一が成されたと思われます。安藤五郎は幕府から日ノ本の将軍(ここで言う日ノ本将軍とは幕府から派遣された蝦夷地方の一将、司令長官程度と思われます。)の称号を得て、当時のエミシ(蝦夷)の人々が馴染みの薄い、神道や仏教を取り入れ同化政策を進めましたが反感を買い逆に首を取られていましました。そこで、次ぎに派遣された安藤太(太郎)は日ノ本の将軍という肩書きだと、侵略者として印象が強く反感を持たれる可能性が高い事から蝦夷管領とし、安藤太を俘囚長の子供である安倍貞任の子孫として、でっち上げる事でエミシ(蝦夷)の人達により受け入れやすい環境を作り出したとも考えられます。又、後に安藤氏の乱と呼ばれる内乱では安藤又太郎と安藤五郎三郎と対立している事から安藤家を代表する一族として太郎家と五郎家の2家があったとも考えられます。

秋田家系図では上記の「保暦間記」の存在を知っていたようで、基本的に追認する形を取り、安藤五郎を系図上の安藤堯秀と同一人物として表現しています。

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