角館町: 角館城

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角館城
角館城
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角館城 角館城 角館城 角館城
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角館城・概要・歴史・観光・見所
角館城概要: 角館城の最初の築城は諸説ありますが、応永31年(1424)に戸沢氏が当時の居城である門屋城から角館城に居城を移しています。戸沢氏は平忠正の後裔とされ平衡盛の代に奥州磐手郡滴石庄(現在の岩手県雫石町)に移り住み、源平合戦の平家追討の功で御家人となり滴石庄の戸沢邑を本拠としていた事から地名に因み戸沢氏を称したとされます(諸説有り)。戸沢兼盛の代に南部氏に追われ秋田県の北浦地域に逃れ、門屋小館に住し嘉禄3年(1228)に門屋城を築城し長く当地を支配しました。戦国時代には戸沢九郎盛安が勢力を拡大し現在の角館町を中心に旧仙北郡、西仙北郡を支配下としました。外交戦略にも長けていて、天正18年(1590)の小田原参陣や、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦い、慶長19年から慶長20年(1614〜1615年)の大坂の陣など常に勝者側に味方し、幕府の重鎮鳥井家と縁組を進めるなど秋田県内の戦国大名としては最大の勝ち組となり、最終的には新庄藩(山形県新庄市:新庄城)6万石を領しました(秋田氏は三春5万5千石、小野寺氏は配流)。戸沢家が移封になると関が原の戦いで中立した事により久保田藩に移封となった佐竹義宣の弟である芦名義広(盛重)が1万5千石で角館城へ入城しましたが、3代で断絶しさらに一国一城令により久保田藩では久保田城横手城大館城以外の城郭は破却され角館城も廃城となりました。芦名氏の後の角館所預になった佐竹北家は角館城の麓に陣屋構えの屋敷を設けました。角館城は標高166mの古城山に築かれた中世の山城で院内川と檜木内川を外堀に見立て山頂に設けられた本丸を中心に比較的大きな郭は6つあり、僅かながら堀切や空堀が設けられていました。現在は角館城跡一帯は多くの桜が植えられ、城下町が一望出来る古城山公園と整備され角館町の名所となっています。角館城の城跡は中世山城の遺構で歴史的にも価値がある事から平成8年(1996)に仙北市指定史跡に指定されています。

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