蚶満寺:秋田県にかほ市象潟町

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【 概 要 】蚶満寺は仁寿3年(853)に慈覚大師円仁(平安時代の天台宗の高僧)によって開かれた古寺です。正嘉元年(1257)には鎌倉幕府5代執権北条時頼が巡錫で当寺を訪れると霊地と悟り寺領20町歩を寄進しています。天正15年(1587)又は文禄元年(1592)に光禅寺(秋田県由利本荘市松ヶ崎)の栄林示幸が曹洞宗の寺院として再興し、光禅寺を開山した直翁呈機を勧請開山としました。江戸時代に入ると領主である矢島藩主生駒家の庇護となり、山門に安置されている金剛力士像を寄進しています。元禄2年(1689)には松尾芭蕉が奥の細道の行脚で蚶満寺を訪れ当寺を「干満珠寺」として紹介し、象潟の絶景に対し「象潟や 雨に西施が ねぶの花」の句を残しています。文化元年(1804)に象潟地震により地面が数メートル隆起すると、景勝地として知られた象潟の景観が一変し、さらに新田開発を進め往時は島だった高台も破壊しようとしていた本荘藩と、それらを残そうとした蚶満寺の住職全栄覚林とが対立し、日本初の景観保存運動が展開されました。全栄覚林は本荘藩によって捉えられ獄死しましたが、運動が功を奏して、現在見られる景観が保全される事になりました。本荘領三十三観音霊場第十一番札所。

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