専正寺 |
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[ 付近地図: 鹿角市花輪中心部 ]・[ 鹿角市:花輪・観光・歴史・見所 ] |
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専正寺概要: 案内板によると「ご本尊を阿弥陀如来とする当山の開基は信州高井郡の城主井上味兵衛専公(即性院殿生了謙徳大居士)で伊勢国司北畠大納言の幕下に属し八萬石を食む織田信長の為亡されるや父は討ち死にし母は病没す。専正は濁世に無常を感じ又、父母菩提の為、京都本願寺十一代顕如上人に御対面を願い意趣を奏聞したもうに御上人弥陀の本願を手に取る如く御教化あらせられ専正千聞一悟怱ちに他力囁生の旨趣を定得し凡夫直入の真心を決定して出家得慶法名を教順と賜う。更に顕如上人より親鸞聖人の御染筆、金紙金泥六家名号を開基佛として御下付、御絵伝、父専忠所持粟田口吉水の短刀等と共に寺宝である。又、俗性 専正を寺号と稱すべく許容をいただき有縁の地奥狭布の里現在地に一宇創建、時に天正17年(1589)なり宝永2年(1705)に焼失し境内面積千四百坪の中に在る十間四面現本堂は宝永3年第四世泰樹院(智道法師)の代に八正寺林を伐採 欅(無釘)をもって再建されたものである。又、山門は花輪代官所の門(総欅)を移設したものである。・・・・・(後略)」とあります。又、専正寺の喚鐘は元文3年(1738)に田中久兵衛尉藤原久長が製作したもので、戦時中一端摂取されたものの、戦後還され鹿角市指定有形文化財になっています。
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