小坂鉱山 |
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[ 付近地図: 小坂町中心部 ]・[ 小坂町・観光・歴史・見所 ] |
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小坂鉱山概要: 小坂鉱山は文久元年(1816)に発見されたのが始まりとされ、金、銀の産出が増大すると盛岡藩の直営鉱山として開発が進められました。明治3年(1870)盛岡藩が廃藩になると工部省(官営)に管理が移り明治17年(1884)に藤田組に払い下げられました。明治31年 (1898)に自熔製錬が開発されと銅山として活況を呈しましたが、昭和初期頃から減産し始め、太平洋戦争後は採掘中止に追い込まれました。昭和34年(1959)に内の岱の鉱床が発見されると再び鉱山として採掘が開始されましたが平成2年(1990)に鉱山としては閉山し現在は廃材となった精密機器から金や銀、銅、レアメタルなどを取り出すリサイクル工場として注視されています。小坂町は日本最古の木造芝居小屋「康楽館(国指定重要文化財)」や大型の鉱山事務所建築の遺構である「旧小坂鉱山事務所(国指定重要文化財)」など有名ですが逆に「小坂鉱山」の方に魅力を感じます。観光客はほとんど行きませんが小坂町を感じるには一番良いとこかもしれません。精錬所からでる煙の為か、全体的にすす汚れていますが、それが何ともいえない雰囲気を醸し出しています。当時からの建物は徐々に少なくなってきましたが、煉瓦造りの工場は健在です。縦長で上部が曲線でデザインされている窓と、張り出した柱とが建物の端から端まで連続してリズム感よく構成されています。妻面を見てもかなり規模が大きい煉瓦造の近代建築だと思います。
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