米蔵・味噌蔵 |
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米蔵・味噌蔵概要: 米蔵(写真奥)は案内板によると「建立年代 明治24年(1891) 建物の特徴 5千俵入りの大規模な米蔵。昭和初期頃は、高さ6メートル余りの牛梁際まで米俵が積まれていたという。厚さ12センチの板壁を柱にはさみ込み、柱と壁板を通り貫で緊結している。秋田地方の土蔵造の一例で、特に厚壁板や長大な牛梁などの工法、材料の豪快さが際立っている。」とあります。文庫蔵と対比すると分かりやすいと思いますが、米蔵の方が意匠的にも実用的な表現をしています。外壁の上部が文庫蔵は黒漆喰に対し、米蔵は素地のままです。窓廻りの意匠にもあきらかな差異を感じる事が出来ます。内部も実用的に構成されて、内部の板壁が柱の面と同一に成っていて、米俵が積み易いような工夫が見られます。又、味噌蔵(写真手前)案内板によると「建立年代 明治中期 建物の特徴 当初北側の部屋は、「ヒロ」と呼ばれる籾置場であった。大正3年、黒川油田の大自墳以降、掘削の本格事業に着手した日本石油の社宅に白米を供給するため、北側の部屋に、動力式精米機を設置した。当初外壁は板壁であったが、後に現在の漆喰壁としている。これは文庫蔵の完成(明治40年前後)にもない外壁を合わせる目的で行ったとみられる。」とあります。所謂、土蔵の蔵ではありません。土の厚さも本来の蔵に比べ非常に薄く感じました。案内板で書かれているように防火上の必要性ではなく、文庫蔵と合わせる意匠的の要素が強いようです。
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