青柳家住宅 |
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[ 付近地図: 仙北市角館町 ]・[ 仙北市:角館町フィールドワーク ] |
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青柳家住宅(武家屋敷)概要: 青柳家は天正8年(1580)、青柳和泉守を祖とする旧家で当初は佐竹家18代当主佐竹義重に仕えていましたが、天正14年(1586)、義重の次男義広が奥州の名門芦名家を継ぐ事になりその家臣となりました。天正17年(1589)の摺上原の戦いで義広は伊達政宗に大敗すると再び常陸国に戻り江戸崎領主となり、慶長5年(1600)の関が原の戦いでは本家佐竹家に同調し東西中立を保った罪により事実上改易されました。慶長7年(1602)に佐竹義宣が久保田藩に移封になると義広(盛重)もこれに従い角館城1万5千石を与えられ、青柳家もこれに随従します。その後、芦名家は3代で断絶し青柳家は角館所預となった佐竹北家に仕える事になります。当初60石だった石高も47石に減給されますが、納戸役などの要職を歴任し、幕末時には150石(104石?)という角館では上級武士にあたる石高になっています。現在の屋敷には「馬つなぎ石」や「馬乗り石」、黒塀には「武者窓」と呼ばれる屋敷内から外部を覗き見る出窓も設えています。薬医門は万延元年(1860)に大工棟梁柴田岩太郎によって建てられたもので切妻、こけら葺、一間一戸、当時の上級武士しか認めらない格式の高い建物です。母屋も安永2年(1773)に建てられた建物で、寄棟、茅葺、平入、外壁は真壁造、素地、玄関は石黒家同様に2箇所に別れ、正玄関はむくり破風の玄関屋根に式台付、座敷など格式の高いものになっています。内部は玄関、取次ぎ間、座敷、仏間、納戸、六畳の間、お上、台所、水屋、寝所2室、文庫蔵、道具蔵などがあります。当時の地方上級武家屋敷の遺構として貴重な文化財と言えます。青柳家住宅は角館を代表する武家屋敷の遺構として貴重な事から昭和48年(1973)に秋田県指定史跡に指定されています。
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