報身寺 |
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[ 付近地図: 仙北市角館町 ]・[ 仙北市:角館町フィールドワーク ] |
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報身寺(角館町) 浄国山報身寺の創建は文禄2年(1593)、角館城の城主戸沢政盛が楽誉(浄土宗総本山知恩院の上座)を召還し開山したのが始まりとされます。慶長7年(1602)、政盛は関が原の戦いで東軍に属するものの消極的な行動を取った為、松岡藩(茨城県高萩市下手綱)に減封となり、替わって佐竹義宣が久保田藩に入封、慶長9年(1604)には芦名義勝(義宣の弟)が角館に配されます。報身寺は義勝の庇護となり元和6年(1620)には元町から西勝楽町に移されます。特に2代芦名盛俊の正室松寿院(宇都宮家出身)が浄土宗を帰依していた事から篤く庇護し、息子で3代千鶴丸が承応2年(1653)に幼少で事故死すると供養の為に大梵鐘(角館出身の鋳物師佐藤佐治兵衛作、平成9年に仙北市指定有形文化財工芸品に指定)を寄進、自らが死去すると遺言により分骨が葬られ墓碑が建立されています。芦名家は3代で断絶しましたが家臣の多くが報身寺を菩提寺にしており多くの墓碑が建立されています。その後は角館所預となった佐竹北家が庇護した事で寺運も隆盛し住職は代々天皇から香衣被着の勅許を賜っています。山門は切妻、鉄板葺、薬医門、左右3体づつ石仏が安置され印象深い門です。本堂は入母屋、鉄板葺、平入、桁行9間、梁間9間、正面1間向拝付、外壁は真壁造り、白漆喰仕上げ。宗派:浄土宗鎮西派。本尊:阿弥陀如来。
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