亀田陣屋(亀田城) |
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[ 付近地図: 由利本荘市岩城亀田 ]・[ 岩城亀田フィールドワーク ] |
亀田陣屋(亀田城)概要: 亀田陣屋は元和9年(1623年)に初代岩城亀田藩主岩城吉隆によって築かれました。岩城吉隆は佐竹義宣の弟ですが、岩城氏の家督を継ぎ後に久保田藩2代藩主になった人物です。元々岩城氏は福島県の岩城地方を治める大名で戦国時代は佐竹氏の軍門に下りながら17万石を領していまが、関が原の戦いで佐竹氏と共に中立を保った為、一旦は取り潰しになりました。大阪の陣では徳川家側に参戦し、武功が高かった為信州川中島(1万石)からさらに1万石加増され亀田に入部しました。しかし、2万石を有しながら城持ち大名ではなく無城格として城郭を築くことは出来ませんでした。陣屋は大きく2つの郭で構成されており、上段の郭が藩主の邸宅で、下段が政庁や倉庫、家人の部屋が配置されていました。前面には堀があり、衣川が外堀の役目をしていたようです。大手口から見ると2つの郭と建物が重なって見える様に構成し、大きな建物が建っているようにしたとされています。嘉永5年(1852)に城主格に昇格し、城持ち大名になったものの城(陣屋)戊辰戦争で消失し建物の遺構は残っていません。現在は小学校と神社の境内、亀田城美術館が建てられ、土塁と思われる遺構が若干見て取れる程度です。 ※写真は亀田城美術館にある模擬大手門です。当然ながら亀田陣屋にはこの様な大きな門や高い石垣はなく、近くにある天鷺村にある門の方が規模的には近いと思われます。
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