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にかほ市平沢概要: にかほ市平沢は、古くから由利十二頭の1人仁賀保氏が支配し、山沿いにある山根館(にかほ市院内)を築き居館としていました。仁賀保氏は由利十二頭の中でも中心的な役割を持つ1人で豊臣秀吉の奥州仕置きでも3千7百石を認められ、関が原の合戦で最上氏に従った事で常陸国武田領5千石に加増されました。その後、大坂の陣でも功を挙げ元和9年(1623)に1万石の大名となり仁賀保藩を立藩しました。当初は塩越城(にかほ市象潟)を居城としましたが、寛永2年(1625)の相続の際領地を長男に7千石、二男に2千石、三男に1千石と分けた事で大名格から外れ、本家筋が途絶えた事でにかほ市平沢にある仁賀保陣屋が中心地(藩としては廃藩)となりました。にかほ市平沢は小規模ながら仁賀保氏3千石(二男と三男の分を合わせた石高)の城下町の羽州浜街道の宿場、北前船の寄港地と様々な要因で発展し周辺からの中心となっています。現在のにかほ市平沢の町並みは昔からの町屋はあまり多くはありませんが、飛良泉の蔵などのデザイン要素や、道幅がそんなに広くないことなどから羽州浜街道沿いの町の雰囲気が残っています。1本道を外すと平沢港ですが、港町独特の複雑な町割にはなっていません。にかほ市平沢は城下町であった為、ある程度の計画的な町割りが行われていたと考えられます。屋根は大方瓦で、これもにかほ市金浦と同じように日本海からの強風が影響されてのことだと思います。八幡神社境内からの写真でみると屋根の様子がよくわかります。真中のアパートのような建物だけ素材が異なり、全体のデザインのバランスがずれています。個々の自由なデザインと統一したデザインのバランスが良い町並みを生むと考えられないでしょうか。
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にかほ市平沢 |
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[ 付近地図: 秋田県にかほ市平沢 ]・[ 関係リンク:にかほ市 ] |
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