角館町: 田町(武家屋敷街)

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田町(武家屋敷街)
田町(武家屋敷街)
[ 仙北市:角館町フィールドワーク ]
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角館町・歴史・観光・見所
田町(武家屋敷街)概要: 角館町のには国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている「表町・東勝楽丁」と「田町」2つの武家屋敷通りがあります。田町の方があまり有名ではありませんが、前面の道路はあまり広くなく当時の町割りが残る町で、東勝楽丁や表町ど同様に庭木が大きく育ち道路にその影を落と武家屋敷の雰囲気を色濃く残しています。田町には大正時代前後と思われる洋館や旧角館製糸工場(国登録有形文化財)などがあり武家屋敷風の建物が多い東勝楽丁などとは趣が異なり、周辺は修景計画も進み黒塀が続きかなり雰囲気はあります。歴史的には案内板によると「城下町角館は北に佐竹北家家臣団が、南に今宮家家臣団が居住して統治し、この田町は今宮家家臣団の中心地でした。今から380年ほど前の江戸時代初期、角館の町づくりが行われた時からこの地に住みました。最初に入ったのは86家でした。今宮家は佐竹氏と縁続きの一門で直臣の誇りを持ち、修験の棟梁として秋田藩の中で大きな力を持ち、祈願所や社寺などを管理もしていました。」とあります。今宮家は佐竹家15代当主佐竹義舜の兄にあたる今宮周義が祖となり領内の修験・社人頭領を歴任した家柄です。慶長7年(1602)、佐竹義宣は関が原の戦いで中立を保った為、常陸国から久保田藩21万石で移封となり今宮家も随行、一旦平鹿郡増田に配され慶長9年(1604)に仙北郡角館に移っています。当初、角館には義宣の弟にあたる芦名義広が1万5千石で配され角館城の北側に城下町を建設しましたが、水害や火災などに悩まされ元和6年(1620)に南側に城下町を移し手前に芦名家直臣の家臣が配され、今宮家家臣団は管沢(田町)武家屋敷に配されました。北端には今宮家の菩提寺である松庵寺が建立され、今宮家家臣の後裔である西宮家が一般公開されています。

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