誓願寺 |
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[ 付近地図: 湯沢市下院内 ]・[ 湯沢市:院内フィールドワーク ] |
誓願寺(湯沢市)概要: 東安山誓願寺は元和2年(1616)、久保田藩の家老で院内銀山奉行を務めた渋江内膳政光が慶長19年(1614)の大坂の冬の陣(今福表の戦い:豊臣方の主力の1つ後藤基次・木村重成隊と激突し、流れ弾に当たり討死、享年41歳。)で討死し、その菩提を弔う為、等蓮社正誉和尚を招いて院内銀山の敷地内に開山したのが始まりとされます。当時、院内銀山は全国でも主要な鉱山の1つで、多くの人口を抱え久保田城下を凌ぐ活気を呈していたとされ、そこに建てられた寺院は11ケ寺を数え、誓願寺はその1つでした。しかし、銀山の産出量は時代と共に変動が激しく、誓願寺はその後正徳5年(1715)に下院内、嘉永4年(1851)に現在地に移りました。同じく院内銀山に建てられた西光寺は銀山の衰退と共に廃寺になりその本尊である阿弥陀如来像が譲り受けました。阿弥陀如来像は鎌倉時代中期に恵心僧郡の作と伝えらたもので檜材、一木造、総金箔仕上げ、昭和34年(1959)に秋田県指定有形文化財になっています。寺宝も多く院内銀山で働いていた隠れキリシタンが所持していたマリア像や涅槃図などを所有しています。秋田三十三観音霊場第9番札所。宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来。
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