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横手市金沢概要: 金沢は後三年合戦の折、金沢柵に立てこもった清原家衡、武衡と源義家との激戦があった場所です。前年に行われた、沼の柵での攻防戦に勝利した清原勢は更に強固な金沢柵に立てこもり籠城戦を展開しますが、軍勢を立て直した義家に遂に敗れてしまします。金沢を中心に後三年合戦の遺構や史跡が散在し、当時を伝えています。中世では小野寺氏の城下町として発展してきましが、関が原の合戦の折、長年領土争いを展開してきた最上氏が東軍に加わった為、西軍側の上杉勢に呼応するように最上領に侵入します。しかし、本戦である関ヶ原で石田三成が敗北した為、上杉軍は自領へ撤退し、小野寺氏は孤立を余儀なくされます。上杉に対していた最上本軍が小野寺領になだれ込み小野寺氏は降伏、金沢城も廃城となりました。江戸時代には羽州街道が町の中心を通っていたことで多くの人家が集まったと思われます。秋田藩12社である金澤八幡宮や秋田三十三観音霊場第十三番札所の祇園寺などの社寺も多く見所は多い町です。現在の街道沿いには町屋などはあまり多くないのですが、道路の拡幅がそれほどでもなく、水飲み場も残っているなど雰囲気は十分感じることは出来ます。厨川は後三年の役関係の伝説がある川ですがこれは古代のロマンは感じられません。本町通り(街道)から1本中に入ると田町通りがあり、現在でもお屋敷街になっています。ここは藩主の御小休所となっていて、「殿小路」、「御前小路」と呼ばれていたそうです。
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金沢 |
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[ 付近地図: 秋田県横手市金沢 ] |
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