横手市金沢: 金澤八幡宮

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金澤八幡宮
金澤八幡宮
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金澤八幡宮・概要・歴史・観光・見所
金澤八幡宮(横手市)概要: 金澤八幡宮の創建は寛治7年(1093)、清原氏の内紛に発した後三年合戦が終結すると、激戦が繰り広げられた清原氏の居城金沢柵の2ノ丸跡に合戦を平定した源義家が出羽鎮護を祈願する為、藤原清衡に命じ石清水八幡宮の分霊を勧請したのが始まりとされます。中世の詳細は不詳ですが金沢柵を利用して金沢城が築城され金沢右京亮(三戸南部家13代南部守行の子供)や金沢権十郎(小野寺家家臣)が城主となっている事から金沢城の鎮守社として崇敬されていたと思われます。江戸時代に入ると久保田藩主佐竹氏から崇敬され秋田領十二社に指定、慶長9年(1604)には別当である土肥胤信に命じ社殿が再建され、社領35石が安堵されました。佐竹氏の祖は金澤八幡宮を創建した源義家の弟である新羅三郎義光で、義光も後三年合戦で京都での待機の命令を無視し、苦戦している義家に援軍として参陣し共に金沢柵を落す大功を挙げています。その為、佐竹氏からの崇敬はすこぶる篤くその後の11回行われた社殿の改修工事は藩費で賄われ社宝や奉納品など多数賜りました。現在の社殿は大正5年(1926)に改築されたもので拝殿は入母屋、銅板葺、平入、桁行4間、梁間3間、正面1間向拝付、向拝欄間には龍、木鼻には獅子の彫刻が施されています。本殿は三間社流造、銅板葺き。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式(旧別当寺院は麓にある祇園寺)が廃され明治4年(1871)に県社に列し平成元年(1989)に金沢八幡神社から現在の社号である金澤八幡宮に改称しています。羽州街道からの参道もあるのですがかなりの道程で、大鳥居からすぐに遥拝所が設けられていますが本殿は舗装された道路がある為車で行ったほうが無難かも知れません。又、拝殿裏手には大石に注連縄が掛けられてあり神聖視され参道には義家縁の兜杉兜八幡神社星兜石、神馬(昭和10年:1936年に奉納、高さ2.55m、幅3m、重さ約5百s、鋳物師藤原隆義作)などがあり神聖な雰囲気がただよっています。祭神は誉田別尊、息長帯姫命、玉依比売命。例祭は9月15日、約1千年の歴史を持つとされる「金沢掛唄(仙北荷方節にあわせて即興で掛け合いの歌を交換し優劣を競う神事)」が奉納されます。「金沢掛唄」は平成4年(1992)に秋田県指定無形民俗文化財(年中行事)に指定されています。

金澤八幡宮の文化財
 ・ 写経(大般若波羅密多経)四七八巻−秋田県指定文化財(書籍・古文書等)
 ・ 古鏡蓋付陶製経壷 一個−秋田県指定文化財(考古資料)
 ・ 骨壷 一個−秋田県指定文化財(考古資料)
 ・ 銅製経筒 一個−秋田県指定文化財(考古資料)
 ・ 金澤八幡宮掛け唄行事−秋田県指定無形民俗文化財
 ・ 獅子頭(2口)−江戸時代中期−横手市指定有形民俗文化財
 ・ 神楽面(6面)−室町時代末期〜江戸時代初期−横手市指定有形民俗文化財

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