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湯沢市概要: 湯沢市は古くから街道が交わる交通の要所で、稲庭城を拠点とした小野寺氏が領土拡大の戦略的拠点として鎌倉時代後期に湯沢城を築きました。特に戦国時代に入ると湯沢市周辺は最上領と接していた事もあり、何度も戦乱に巻き込まれ文禄4年(1595)には湯沢城が落城し最上氏の家臣楯岡満重が領主となります。江戸時代に入っても湯沢市の重要性は変わらず、慶長7年(1602)に佐竹氏が領主となると一族である佐竹南家3代義種が湯沢城に入り南方の守りの要となります。義種は城郭の整備や城下町の建設、神社仏閣の勧請など積極的に行い一国一城令により、元和6年(1620)に城が破却された後も麓に陣屋を築き「所預かり」と称し湯沢市を中心に領地を預り、半ば支藩のような形態を明治維新まで続けています。戊辰戦争では秋田藩は官軍に付いた為、奥羽越列藩同盟側の仙台藩と交戦、湯沢市も戦場なり多くの犠牲が払われたそうです。湯沢市中心部は城下町だけでなく羽州街道や本荘街道、小安街道の宿場町や院内鉱山の消費地としての商業都市として発展してきた町で、佐竹南家では奥方を公卿から迎えるなど文化的にも優れている点から「小京都」の1つに数えられています。ただ小京都だからといって全てが重要伝統的建造物群保存地区のように古い町並みが続いているわけではありません。特に湯沢市中心部の商店街は大きく駅前サンロード、柳町、中央通り、大町の4つに分けられていてそれぞれ雰囲気が異なります。特に注目されているのが中央通りはドイツ風町並みをコンセプトとして、大町)はネオロマネスク風町並みをコンセプトとしています。「東北の灘」、「小京都湯沢市」を目的に来る観光客は少し戸惑うかもしれません。ただかなり徹底的にデザインを統一している為、町並みとしては成立しています。郊外型の店舗が進出してくる中、中心商店街の生き残りの為の一石を投じるまちづくりの1つだと思います。逆に内町、内館町は元武家町だったことで黒板塀などが残り城下町の風情が残っています。横手市の羽黒町の様に徹底感はないのですが、ある意味湯沢市の内町の方が自然なのかもしれません。祭りには「絵どうろうまつり」、「犬っこまつり」、「大名行列」、などの観光資源があり、その時は他の小京都に負けない雰囲気になります。
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湯沢市 |
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