東鳥海山・東鳥海神社 |
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里宮(遥拝殿) |
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奥宮(本殿) |
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東鳥海山・東鳥海神社概要: 東鳥海山は湯沢市雄勝町須川にある標高777mの信仰の山で、地域の人達からは「権現山」と呼ばれているそうです。同地域の中で一番高く眼下を見下ろせる事から信仰の対象となり鳥海山に対し東側に位置し山姿が似ている事から、東鳥海山と名付けられました。東鳥海山を御神体とする東鳥海神社の創建は不詳ですが、伝承によると延暦20年(801)、坂上田村麻呂が東夷東征の戦勝祈願の為勧請されたのが始まりと伝えられています。康平年間(1058〜1064年)に行われた前九年合戦の兵火により社殿や記録などが焼失し以前の由緒などが不詳となっています。中世に入ると領主である小野寺家から崇敬庇護され天正年間(1573〜1593)には朝倉城(横手城)の城主小野寺遠江守が社殿の改修を行っています。江戸時代に入ると湯沢所預となった佐竹南家の崇敬社の1つとなり数々の寄進を受けたとされています。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され明治42年(1909)に神饌幣帛料供進神社に指定されています。旧羽州街道沿いに大きな一の鳥居があり東鳥海山麓の相川集落では大きな里宮が遥拝所として建立されています。社殿は入母屋、鉄板葺、平入、桁行4間、梁間3間、正面1間向拝付、外壁は真壁造、板張素地。さらに進むと二の鳥居があり両側に大杉が聳え傍らには小さな祠が鎮座しそこから険しい参道が続きます。9合目付近には福田神社が鎮座し、そこ過ぎると両脇に大木が連なる石段がありようやく神社山門が見えてきます。山頂付近の東鳥海神社奥宮は鞘堂の内部に鎮座し、かなりの年代と思われる宮殿があります。周囲には山頂登山の記念の落書きが多数見受けられ信仰の厚さ?が見受けられます。祭神は宇気母知神、大名持神、少彦名神、大山祇神、大宮能売神、水波能売命。
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