久保田藩:湯沢所預

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久保田藩:湯沢所預概要
久保田藩:湯沢所預概要: 慶長7年(1602)佐竹義宣が久保田移封に伴い、領内の要衝には一族や有力家臣が配され、湯沢城には義宣の実弟である多賀谷宣家が城代となりました。慶長15年(1610)、宣家が檜山城に移ると佐竹義種が城主となり以後、佐竹南家が湯沢の領主となりました。湯沢の地は羽州街道小安街道の結束点で、すなわち仙台藩と山形藩(当時の最上藩)が侵攻してくる最前線となる軍事的要衝で佐竹南家がその任にあたりました。湯沢城は慶長20年(1615)、一国一城令が発令されると廃城となりましたが麓に陣屋構えの館を設け所預として支配の要としました。佐竹南家は佐竹宗家の嫡流の家柄で義種が幼少期に父親を無くした為、義宣と共に常陸太田城(茨木県常陸太田市)で過ごし一緒に元服をした間柄で、当時の領地が常陸太田城の南方にあった為「南家」と呼ばれるようになりました。義稙は久保田藩にて進んで湯沢の地を選んだのは義宣の楯となって先陣を切る心構えだったからとも云われ篤く信任されていたと思われます。
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久保田藩:湯沢所預歴代領主
 領主名領主年間石高備考
初代佐竹義種慶長15〜元和5年0.89万石 
2代佐竹義章元和5〜正保元年 万石 
3代佐竹義著正保5〜寛文元年0.55万石 
4代佐竹義敞寛文元〜元禄13年0.78万石 
5代佐竹義安元禄13〜享保14年 万石 
6代佐竹義伯享保14〜延享元年 万石 
7代佐竹義持延享元〜寛延2年 万石 
8代佐竹義舒寛延2〜宝暦12年 万石 
9代佐竹義以宝暦12〜明和6年0.41万石 
10代佐竹義良明和6〜天明8年 万石 
11代佐竹義珍天明8〜弘化元年0.57万石 
12代佐竹義孟弘化元〜安政2年0.55万石 
13代佐竹義誠安政2〜慶応4年 万石 
14代佐竹義隣明治元〜明治2年 万石 

久保田藩:湯沢所預城下町:名所・旧跡

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