久保田藩:十二所所預

  秋田県:歴史・観光・見所(ホーム)秋田県:江戸時代・概要>久保田藩:十二所所預
秋田県の城下町
 ・ 久保田藩
   ・横手(城)所預
   ・大館(城)所預
   ・角館所預
   ・檜山所預
   ・湯沢所預
   ・院内所預
   ・十二所所預
 ・ 久保田新田藩
 ・ 岩城亀田藩
 ・ 矢島藩
 ・ 本荘藩
 ・ 仁賀保領
 ・ 南部藩
   ・花輪要害屋敷
   ・毛馬内要害屋敷
 ・  
 ・  
 ・  
 ・  
 ・  
 ・  
 ・  
 ・  
 ・  
 ・  
 ・  
 ・  
 ・  
 ・  
 ・  
 ・  
 ・  
久保田藩:十二所所預概要
久保田藩:十二所所預概要: 十二所は南部藩の藩境に接する軍事的な要衝な為、佐竹義宣が久保田に移封になるとすぐさま家臣である赤坂朝光が城代となりました。元和元年(1615)、塩谷義綱が新たに城主として赴任してきましたが、同年に一国一城令により新たに築かれた十二所城は廃城となり元和6年には新たに現在の元館町に陣屋を設けて「再来館」と呼ばれるようになりました。天和3年に茂木知恒が十二所所預になると以後、茂木氏の後裔が10代に渡り所預を歴任しています。十二所は軍事的に重要視された為、「所預」と称する事実上の城下町として、数多く武士が当地に派遣され、何時しか「久保田城下」、「土崎湊」、「横手城下」、「大館城下」、「能代湊」と共に領内6町の1つに数えられるようになりました。南部藩との間には度々藩境による争いが起こっており、戊辰戦争時には十二所口から南部藩が侵攻し大きな被害を受けています。
  スポンサーリンク
 

久保田藩:十二所所預歴代領主
 領主名領主年間石高備考
初代赤坂朝光慶長7〜元和元年 万石 
2代塩谷義綱元和元〜延宝7年 万石 
3代梅津忠貞延宝7〜天和3年 万石 
初代茂木知恒天和3〜年0.35万石 
以後、茂木氏〜年 万石 
10代茂木知端安政5〜明治2年0.22万石 

久保田藩:十二所所預城下町:名所・旧跡

 
白
 
 
白
 
 
白
 
 
白
 
 
白
 
住宅設計


 
 ※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。