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久保田藩:十二所所預概要: 十二所は南部藩の藩境に接する軍事的な要衝な為、佐竹義宣が久保田に移封になるとすぐさま家臣である赤坂朝光が城代となりました。元和元年(1615)、塩谷義綱が新たに城主として赴任してきましたが、同年に一国一城令により新たに築かれた十二所城は廃城となり元和6年には新たに現在の元館町に陣屋を設けて「再来館」と呼ばれるようになりました。天和3年に茂木知恒が十二所所預になると以後、茂木氏の後裔が10代に渡り所預を歴任しています。十二所は軍事的に重要視された為、「所預」と称する事実上の城下町として、数多く武士が当地に派遣され、何時しか「久保田城下」、「土崎湊」、「横手城下」、「大館城下」、「能代湊」と共に領内6町の1つに数えられるようになりました。南部藩との間には度々藩境による争いが起こっており、戊辰戦争時には十二所口から南部藩が侵攻し大きな被害を受けています。
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久保田藩:十二所所預歴代領主
| 領主名 | 領主年間 | 石高 | 備考 |
初代 | 赤坂朝光 | 慶長7〜元和元年 | 万石 | |
2代 | 塩谷義綱 | 元和元〜延宝7年 | 万石 | |
3代 | 梅津忠貞 | 延宝7〜天和3年 | 万石 | |
初代 | 茂木知恒 | 天和3〜年 | 0.35万石 | |
− | 以後、茂木氏 | 〜年 | 万石 | |
10代 | 茂木知端 | 安政5〜明治2年 | 0.22万石 | |
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