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南部藩:毛馬内要害屋敷概要: 毛馬内も花輪同様に鹿角地方における重要な地域で、特に津軽、三戸、比内に通じる交通の要衝で軍事的にも拠点となりました。特に戦国時代には比内から侵攻する秋田氏や、南部氏を裏切った津軽氏に対処する必要性がありました。江戸時代に入っても久保田藩や対立関係にあった弘前藩を警戒して南部藩主の血族である毛馬内氏がその任にあたりました。慶長20年(1615)、一国一城令が発令されると毛馬内城は廃城になりますが、毛馬内地域の重要性は変わらず、毛馬内要害屋敷として事実上存続しました。明歴3年(1657)毛馬内長次が花輪要害屋敷に移封になると桜庭光英が入封し、以後、桜庭氏の支配となります。
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南部藩:毛馬内要害屋敷歴代藩主
| 藩主名 | 藩主年間 | 石高 | 備考 |
初代 | 毛馬内信次 | 天文5〜天正13年 | ?万石 | |
2代 | 毛馬内政次 | 天正13〜寛永20年 | ?万石 | |
初代 | 毛馬内直次 | 寛永20〜正保2年 | ?万石 | |
2代 | 毛馬内長次 | 正保2〜明歴3年 | 0.13万石 | |
初代 | 桜庭光英 | 明歴3〜天和2年 | ?万石 | |
2代 | 桜庭光金 | 天和2〜元禄7年 | ?万石 | |
3代 | 桜庭直良 | 元禄7〜元禄12年 | ?万石 | |
4代 | 桜庭統弧 | 元禄12〜宝永7年 | 0.05万石 | |
5代 | 桜庭統愛 | 宝永7〜宝永8年 | ?万石 | |
6代 | 桜庭直高 | 宝永8〜享保13年 | 0.21万石 | |
7代 | 桜庭統起 | 享保14〜明和5年 | 0.19万石 | |
8代 | 桜庭統意 | 明和5〜寛政3年 | ?万石 | |
9代 | 桜庭綱寛 | 寛政3〜文政7年 | ?万石 | |
10代 | 桜庭綱久 | 文政7〜嘉永4年 | ?万石 | |
11代 | 桜庭綱清 | 嘉永4〜安政5年 | ?万石 | |
12代 | 桜庭綱忠 | 安政5〜年 | 0.21万石 | |
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