久保田新田藩(岩崎藩)

  秋田県:歴史・観光・見所(ホーム)秋田県:江戸時代・概要>久保田新田藩(岩崎藩)
秋田県の城下町
 ・ 久保田藩
   ・横手(城)所預
   ・大館(城)所預
   ・角館所預
   ・檜山所預
   ・湯沢所預
   ・院内所預
   ・十二所所預
 ・ 久保田新田藩
 ・ 岩城亀田藩
 ・ 矢島藩
 ・ 本荘藩
 ・ 仁賀保領
 ・ 南部藩
   ・花輪要害屋敷
   ・毛馬内要害屋敷
 ・  
 ・  
 ・  
 ・  
 ・  
 ・  
 ・  
 ・  
 ・  
 ・  
 ・  
 ・  
 ・  
 ・  
 ・  
 ・  
 ・  
 ・  
 ・  
 ・  
久保田新田藩(岩崎藩)概要
久保田新田藩(岩崎藩)概要: 元禄14年(1701)、久保田藩3代藩主佐竹義処が弟である義長に2万石を分知し新田藩を立藩、しかし、蔵米の分知で定府大名だった為領地が無く江戸城下の浅草鳥越に屋敷を構えました。壱岐守を叙することが多かった為、「壱岐守家」とも称され、「東家(久保田住)」、「南家(湯沢所預)」、「西家(大館城主)」、「北家(角館所預)」共に佐竹五家を形成しました。特に佐竹宗家に嗣子が無い場合養子を送り出した為、同じくような経緯で存在した式部少輔家とは度々宗家の跡継ぎ争いを演じており、「秋田騒動」と呼ばれる家督騒動に発展しています。幕末の騒乱に乗じて江戸から久保田藩領内に入部し久保田城下に近い椿台に陣屋を構え初めて本拠を持ちましたが、戊辰戦争の兵火により完成を待たず焼失しました。明治3年に改めて岩崎に陣屋を構えて岩崎藩となり藩主佐竹義理は藩知事に任命されました。その後、岩崎県が成立しましたが明治4年には秋田県と合併になり消滅しています。
  スポンサーリンク
 

久保田新田藩(岩崎藩)歴代藩主
 藩主名藩主年間石高備考
初代佐竹義長元禄14〜享保3年2万石 
2代佐竹義道享保3〜宝暦13年2万石 
3代佐竹義忠宝暦13〜安永9年2万石 
4代佐竹義祇安永9〜寛政5年2万石 
5代佐竹義知寛政5〜文政4年2万石 
6代佐竹義純文政4〜嘉永2年2万石 
7代佐竹義核嘉永2〜安政4年2万石 
8代佐竹義ェ安政4〜明治2年2万石 
9代佐竹義理明治2〜明治4年2万石 

久保田新田藩(岩崎藩)城下町:名所・旧跡

領主崇敬社
岩崎八幡神社
岩崎八幡神社
 
白
 
 
白
 
 
白
 
 
白
 
住宅設計


 
 ※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。