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羽後町西馬音内概要: 西馬音内(羽後町)付近は古くは雄勝城があった場所の1つと云われ古代律令時代から重要視されてきました。三輪神社などはは8世紀に中央の役人が建てたとされています。中世に入ると西馬音内は小野寺氏の支配に置かれます。ここでも、本荘、矢島に抜ける軍事上の拠点として重要視されています。江戸時代に入ると本荘街道の宿駅として発展し、岩城氏、六郷氏が参勤交代の際は西馬音内を通っていました。現在でも「2万石橋」の由来は両家とも2万石だったからだとされています。又、西馬音内は交通の要所のことから、郡役所も置かれ駅伝地として周辺地域の中心となっていきました。現在では鉄道などの主要幹線から離れている為大きな発展はしなかった反面、古い町屋が点在し、市などが行われて当時の雰囲気は比較的よく残っています。西馬音内盆踊りなど独自の風習も残っていて文化財も豊富な地域と言えます。羽後町は合併ではなく町として独立を保っています。中心都市である西馬音内は今まで以上に重要性が増してくると思います。
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羽後町:西馬音内 |
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[ 付近地図: 秋田県羽後町西馬音内 ]・[ 関係リンク: 羽後町 ] |
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