横手市: 御嶽山・塩湯彦神社

   秋田県:歴史・観光・見所(ホーム)秋田県:フィールドワーク横手市>御嶽山・塩湯彦神社

御嶽山・塩湯彦神社
御嶽山・塩湯彦神社
[ 付近地図: 横手市 ]・[ 横手市・観光・歴史・見所 ]
御嶽山・塩湯彦神社 御嶽山・塩湯彦神社 御嶽山・塩湯彦神社 御嶽山・塩湯彦神社
概要・歴史・観光・見所
御嶽山・塩湯彦神社概要: 御嶽山は横手城横手市の中心部)から見ると北東側(鬼門)に位置する信仰の山で、頂上に鎮座する塩湯彦神社には由緒が掲げられそれによると「人皇第六十代御醍醐天皇の延喜年間撰上せられた神社で、全国3132座の一座として、延喜式神明帳に所載の古社である。秋田藩主佐竹義格公は江戸前期の正徳年間中世を通じて廃絶していた領内の二社(御嶽山、高岳山)の式内社を復活し以前の一社(保呂羽山)を加え国内三社として再構成した。保呂羽山は断絶する事なく、現在に及んでいるが、他の二社は古代国家の変質内至平安仏教の浸透以降、式内社としての性格形式を失い、社家も又定着することなく廃絶し、又藩の勢力の媒介によって復活したものである。塩湯彦神社として復興された御嶽山は奥羽山脈の西麓に近く後三年の役(十一世紀)で清原家衡がたてこもり敗れた金沢柵の東方5Kの地点にある霊山で、北側は平鹿、仙北両郡の境界になっており、南麓の塩湯彦神社里宮、鶴ヶ池神社から東に進めば白木峠を越に北上盆地に達することができる要衡の地を占めている。他の一社副川神社は仙北郡神宮寺嶽にあったが久保田城の北門を鎮護する名目で、今の山本郡と南秋田郡との境にある高岳山まで北上して復活したのである。正徳三年に大友大隅守永貞、岡冶部小輔福命の父子が御嶽山、高岳山の二社の再興を命ぜられ復活してから佐竹三山と称して代々三国社として尊敬せられ現在に及んでいる。」とあります。白鳳年中(672)に役の行者の開山と伝えられ、山腹にある白滝観音は長久年間(1040〜43)保昌坊によって秋田六郡三十三観音の第一番札所としました。塩湯彦神社の社殿は昭和46年に豪雪の為倒壊しますが、昭和56年に有志によって再建され現在に至っています。

 秋田県名所、旧跡見所ナビ: 〜横手市・湯沢市・羽後町・東成瀬村〜
|横手市:増田町| 横手市:浅舞| 横手市:中心部| 横手市:金沢| 横手市:沼館| 横手市:大森町| 横手市:山内| 雄勝郡:東成瀬村| 湯沢市:院内|
|湯沢市:中心部| 湯沢市:岩崎| 保呂羽山・波宇志別神社| 羽後町:西馬音内| 羽後町:三輪神社境内| トップ|
 
 ※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「秋田県WEB観光案内所」は「秋田の歴史」、「羽州街道をゆく」、「秋田市歴史地図」、「あきた滝300」、「パンフレット」、「案内板」、「関係HP」、「秋田のお寺」、「秋田の神社と神々」、「歴史道路報告書」、「佐竹氏と久保田城」、「秋田の温泉」、「有限会社建築相談センター」、「たった1人の秋田まちづくり委員会」、「秋田羽州街道ひとり旅」、「秋田県の建物と街並み」、「小野小町」、「秋田フィールドワーク」を参考にさせていただいています。