秋田・安東氏:「新羅之記録」の疑問

  秋田県:歴史・観光・見所(ホーム)秋田氏・安東氏「新羅之記録」の疑問>何故、安藤政季は宇曽利(下北半島)に配されたのか?

概要・歴史・観光・見所
D 何故、安藤政季は宇曽利(下北半島)に配されたのか?
安藤政季(師季)は名前を「師季」から「政季」に改称させられ、宇曽利(下北半島)に配されたとされます。もし、事実としたら全く理解出来ない采配です。安藤政季は南部家によって事実上潮潟家を滅ぼされています。南部家に対して怨みは尋常ではない事は自明の理で、最もと危険な分子の1つの為、基本的に命を助けられても、出家や幽閉など相当監視が厳しく自由度は制限されているはずで、特に宇曽利のように安藤氏時代の旧臣や、慕う住民がいる可能性が高い場所に配する事は絶対にないはずです。一説には南部家は政季を下国安東氏の宗家に就任させ傀儡にするつもりだったのでは?との説もあるようですが、それでも政季を宇曽利に配するのは危険すぎで、配するにしても長期間南部家の武将になるように長期間の洗脳教育が必要となります。何れにしても安藤氏の残党からは手の届かない場所、例えば聖寿寺館(青森県南部町)や根城(青森県八戸市)なりにに幽閉され巧みに利用されるはずです。では、何故、安藤政季は宇曽利に配されたのでしょうか?答えは武田信広が宇曽利にいたからで、松前氏の祖となる人物が正体不明のまま蝦夷地に出現しては大変都合が悪いからです。「新羅之記録」の基本の1つとして松前氏の祖である武田信広は下国安藤氏を直系を滅ぼした南部家から新たなる下国家当主を救い出し、蝦夷地に凱旋した素晴しい人物だ、という設定にしたという事です。その設定に従い、逆算して物語が構成されているのです。武田信広が安藤政季を救うには政季が宇曽利にいなければならない。政季が宇曽利にいる為には政季が南部家に従っていなければならない。政季が南部家に従うには南部家の血が流れていた方が都合がいい。その為には母親が南部家の当主である南部義政が都合がいい。逆算したら宝徳2年(1450)に蓬田城から連れ去られた方がいい。という風に物語が設定されていったのです。たぶん、「新羅之記録」を実際に勢作した人物は安東氏や南部家などの家系図も熟知し、どうしても変えられない出来事や年号を決め、それをうまく繋ぎ合わせて物語を創り上げ、どうしても都合の悪い所だけ年号に矛盾が生じていると思われます。そして、もう1つ、康正2年(1456)に下北半島で蠣崎蔵人信純と呼ばれる人物が南部家に対し乱を起し根城南部家に鎮圧された、所謂「蠣崎蔵人の乱」の首謀者である蠣崎蔵人信純こそ武田信広と言われているのです。これは「北部御陣日記」や「祐清私記」などで記載されている事で北部御陣日記は軍記物の為、かなり大袈裟に表現されていますが、根城南部氏の一族や家臣に対して二十通に及ぶ官途推挙状を発行されてる事から、同時期に乱が発生し根城南部氏が平定した事は事実とされます。この乱の事は「新羅之記録」では一切無い事から松前氏から見ると大変都合の悪い事件だったと思われます。どうでしょうか?「新羅之記録」では武田信広が安藤政季に従って享徳3年(1454)に蝦夷地に来た事になっています。つまり、康正2年(1456)に信広は下北半島にはいなかったから、蠣崎蔵人信純は信広ではありませんよ、と暗示付けています。さらにいえば、康正3年(1457)に道南部で発生した「コシャマインの戦い」で武田信広が最初から戦いに参加して大活躍の末に平定した事を決定づける為にも享徳3年(1454)に武田信広と安藤政季が蝦夷地にいなければ松前氏にとって都合が大変悪いということです。根拠はありませんが。

「新羅之記録」の疑問
@ 何故、安藤氏は2度津軽を離れたのか?
A 何故、安藤氏は1度目に南部家と和睦出来たのか?
B 何故、和睦の条件が潮潟四郎重季と南部義政の娘との婚儀なのか?
C 何故、安藤政季(師季)は殺されなかったのか?
D 何故、安藤政季は宇曽利(下北半島)に配されたのか?
E 何故、安藤政季は下国家安藤家宗家に就任出来たのか?
F 何故、安藤政季は僅か2年で道南部の体制を築けたのか?
G 何故、安藤政季は格下のはずの上国家の要請を聞き入れたのか?
H 何故、安藤政季は藤崎城に侵攻したのか?
I 何故、安東忠季は下国恒季を討ち取ったのか?
J 何故、安東尋季は蠣崎光広に「松前」守護職を認めたのか?
K 何故、安東舜季は蠣崎家とアイヌとの講和に立ち会ったのか?
L 愚痴と総括

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