湯沢市: 岩崎城

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岩崎城
岩崎城
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概要・歴史・観光・見所
岩崎城(湯沢市)概要: 岩崎城の築城年は不詳ですが建長から文永年間(1249〜1274年)藤原河内守によって築かれたとされます。その後は荒廃したと思われますが、戦国時代になると小野寺家の一族お思われる岩崎河内守が居城として整備したと思われます。当地は前面を皆瀬川、背後には天ヶ台山(標高:314m)が控える要害で交通の要衝としても重要視され小野寺家の拠点の1つ湯沢城の支城として機能しています。文禄4年(1595)、最上義光の家臣楯岡満茂が雄勝郡に侵攻し湯沢城が落城、城主である岩崎義高は急遽、主家で横手城の城主小野寺義道に援軍を要請しましたが、西馬音内城の小野寺茂道の謀反などもあり窮地に陥った為、僅かな兵しか援軍が送られませんでした。楯岡満茂の重臣原田大膳は岩崎城の守りが薄いと悟り、夜襲を仕掛けた為、奮戦むなしく岩崎城は落城、義高は討死、以後、原田大膳が岩崎城の城主となっています。その後は小野寺家と最上家の小競り合いが続き不安定な状況が続きましたが慶長5年(1600)の関が原の戦いで小野寺家は最上家への私怨から西軍方に与した為に改易、慶長7年(1602)には佐竹家が出羽6郡の久保田藩を立藩し佐竹氏の支配に変わります。元和元年(1615)一国一城令が発令されると久保田城横手城大館城以外は廃城となり岩崎城も破却されました。岩崎城は天ヶ台山の麓に築かれた平山城で大きく4つの郭があり、現在は本丸には東屋、二之丸には妙見神社、三之丸には玉子井戸、四之丸には八幡神社や水神社、鹿島様が建立され千年公園として整備されています。

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